断片的ナ語リ

中学12年生の読書感想文と日々の戯言です

図書館

 社会人になって、1年が経とうとしている。初めは不安だった早起きも慣れしまえば案外なんてことなかったり。毎日決まった時間に起きて、決まった電車に乗り、決まった道を歩いて職場に向かう。平日の時間は強制された規則性をもって過ぎ去っていく。

 

 金曜日の夜、家に帰ると誰もいない五畳の空間が心地よい安心感と孤独感を内包し、私を待ちかまえている。平日の私は暇な時間を欲しているのに、休日になり、これといった予定もないと、「何かをしなければ」という脅迫めいた感情が湧き出てくる。

 

最寄りの一駅先に図書館があることを知ったのはつい一か月前だ。やることがない週末はそこで時間をつぶすのが私の習慣になっている。

 

 歩きながら私は学生時代のことを思い出していた。思えばあの頃も今と同じ様に、孤独から逃げる様に図書館に通った時期があった。そこにはただ静寂があり、規則正しく整列した本が空間を形づくっていた。

 

 私は別に読書家ではない。長い文章を読むこともあまり得意ではない。しかし好きな作家はいる。その作家が書いた本を初めて読んだのはたしか高校1年生の7月ごろだった。暇を潰すために図書室に入った私は、黒一色の背景にバタフライナイフが描かれた奇異な表紙に惹かれ、その本を借りたのだ。

 

 後で気づいたのがその本は10作で構成されるシリーズの4作目だった。たしかに登場人物たちの掛け合いがいまいち理解できない部分もあり、描写がしつこいくらい多いラノベとは違う種類の本だなぁなどと間抜けな感想を抱いていた。

 

 大学に入学して図書館で再びその本に出会い、4年をかけて10作を読み終えた。(4作目も読み直した)全作読み終えた時には、登場人物たちの人生を見届けたかのような達成感と楽しみをなくした虚無感を同時に感じた。

 

 作中に出てきた一節を心のノートにメモしておいたのでここで紹介させていただく。

 

『孤独とは、寂しいものではない。自分がここにいる、という位置を、その足許の確かさを、見つめること。だから孤独だと冷静に感じることができるのは、自分の足許の確かさを知っている者だけで、その状況自体が幸せといえる。』(森博嗣作 四季ー秋)

 

 この言葉に出会ってから、人には孤独が必要な時もあるのだと考えるようになった。孤独を通して、人は自分の現在地を知り、そこに至るまでに出会ったヒトやモノ、コトガラを思い出すことができる。

 

 図書館に着く。入口の自動ドアが開く。今日はどんな本に出会えるだろうか。

 

四季 秋 (講談社文庫)

四季 秋 (講談社文庫)

  • 作者:森 博嗣
  • 発売日: 2006/12/15
  • メディア: 文庫