断片的ナ語リ

中学12年生の読書感想文と日々の戯言です

銭湯

 その銭湯は、民家が立ち並ぶ道沿いに違和感なく紛れ込んでいた。隣にはぼろぼろのコインランドリーがあり、おじさんが椅子に座って新聞を読んでいる。

 

 銭湯のガラス戸には張り紙が貼ってある。開店は3時からのようだ。携帯で時間を確認すると2時57分だった。そのまま吸い込まれる様に私は中へ入っていった。

 

 番台ではおばさんが横に置いてあるテレビを見ていた。「大人1枚お願いします」おばさんに伝える。自分以外にも一人の人がいるなら、なんとなく自分は一人ではない気がしてくる。

 

 タオルを借り脱衣所に向かう。驚いたことに、3時開店のはずだが既に5人ほどが風呂場にいるのが見えた。おそらくこの銭湯ベテランたちだろう。

 

 風呂場はシンプルな作りで、普通の湯舟とジェットバス、そして水風呂が並んでいた。外には檜風呂もあり、サウナは有料制だ。僕は風呂場の隅に重ねてある水色の椅子とカエルのイラストが描いてある黄色の洗面器をとり、既に浴場にいる先人達に倣い体を洗い始めた。

 

 

 意外な事に外の檜風呂には誰もいなかった。「あ〜〜」っと言葉にならない音を吐き出しながら湯舟に浸かる。強張った身体は脱力し、自分を守るための鎧がほろほろと崩れ落ちていくようだ。

 突然、「3番線に電車が参ります!危ないので黄色い線の後ろにお下がりください!」とアナウンスする声が聞こえる。振り返ると坊主頭で柔道部のような見た目の大柄な少年と、60歳くらいの白髪頭のおじさんが入ってきた。

 

 少年とおじさんは湯舟に入り、おじさんはと同じように「う〜〜」っと声を漏らした。一方で少年は「次は××〜××〜」と私の知らない駅の名前を叫びながら湯舟の中を歩いている。完全に車掌になりきっている少年。電車が好きなことがよく伝わってくる。


 「ねえねえ、次はいつ会える?」突然少年は車掌をやめ、おじさんに話しかけた。
「16日じゃないの?」おじさんは上を向いたまま少年に答えた。「シックスティーンかー」少年は少し嬉しそうだ。今日は月末だから約2週間後に少年とおじさんはまた会えるのだな、と他人のスケジュールを勝手に把握する。「次は緑風鉄道の写真を撮りに行こうね!」

 

 一人で温泉に浸かっていると、人の会話が耳に入ってくる。聞こうとしていなくても、聞こえてくるのだからしょうがない。少年は周囲の様子などさらさら気にしていない様子で、おじさんに話しかけ続ける。

 

 子供のころ自分はどんな大人になるのかなど考えたこともなかった。田舎だから何もなかったけど退屈を感じたことはほとんどなかった。毎日自分のやりたいことに一生懸命で疲れ果てて眠りにつきまた朝が来る

 

 今の自分はどうだろう。毎日なにかに一生懸命になれているだろうか。時間を忘れるほどなにかに没頭できているだろうか。ふと好きなアーティストの楽曲の一節が頭に浮かんだ。

 

『大事なことは生かされないこと。君は言えるか、「生きているぞ」と。』

 

 「もう行こうよ!!」ふいに少年が大きな声で湯舟から立ち上がった。

その声に呼応しておじさんも、のそのそと立ち上がる。

 

 さあ、週末が終わる。明日はいつもと違う車両に乗って通勤してみようか。

資格試験に落ちた話

資格試験に落ちた。まあ60パーセントの確率で落ちるかなーと思いながら受けに行ったのだけど。(負け惜しみ感この上ない)

 

僕が始めて受けた資格試験は、英検だった気がする。小学4年生ごろからKUMONに通いだし、英語と国語を習った。英検もその時から受験を始め、合格を一つのモチベーションにしていた。

 

結局、KUMONは中学生になって部活が忙しくなったので辞めてしまったが、英検は準2級まで取得した。

 

 

試験とは合格と不合格を明確に示されるものだ。故に点数を取ることに固執しがちになり、実際の目的から遠ざかってしまう事が多々ある。

 

今回でMS社の認定試験を受験するのは2回目だったが、合格した前回よりは不合格だった今回の方が学ぶことが多かった気がする。(前回はAzure関連の資格試験)

 

サブスクリプションとエディションの違い、セキュリティに対する効果的なサービスについての知識、コンプライアンスを守るための対策など、なあなあで理解してしまっていた部分を復習する機会を貰えたと感じている。

 

どちらにせよ、8月中には取得しなければならない資格なので、再び気持ちを入れ直して勉強するのみである。

 

 

エンジニアとして社会人生活が始まって4ヶ月半が過ぎようとしているが、本当に学ぶべき事が多くて、あっという間に時間が過ぎていく。

 

コテコテの文系の僕だが、自己研鑽を重ねて早く一人前のエンジニアになりたいと思う。

 

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(帰省中に鹿児島の最南端、指宿市に行って来ました。自然と触れ合いリフレッシュしましたとさ。)

「劇場」を読んで

こんにちは。みなさんいかがお過ごしでしょうか?

 

気づけば前回の更新から1と3/4ヶ月が過ぎてしまっていました。

 

久々の更新ですが、衝動にかられるままに綴らせていただきます。

 

 

劇場

劇場

 

今回読んだのは又吉直樹さんの「劇場」です。

以前学生証とSuicaが入ったパスケースを日野市で落としてしまい、交番に取りに行きました。

 

その帰りに立ち寄った書店の特設コーナーで見つけた本です。

 

それが2月下旬のことだから、約1ヶ月放置してましたね。

 

ちなみに今年1月にこの雑誌を買いました。

 

全ページ又吉直樹づくしのインタビュー雑誌です。

 

中程に又吉さんが理想的な女の子について小説仕立てで語る部分があるんですが、今回読んだ「劇場」のヒロイン・沙希と重なる部分があるような気がしました。

 

読み進めるうちに又吉さん自身の頭の中にある(あった)芸術に対する想いや葛藤が見えてくるような気がして、「永田=又吉さん」という勝手なイメージをしていました。

 

例えば「劇場」の中で永田と沙希が出会った日に入ったカフェでする「一番怖いと思うお酒の名前は?」という議論は、別冊カドカワで又吉さんが話していた「怖いものに何かを加え可愛くする」という内容と結びつくものがあります。

 

 

ファミレスでぶっ通しで読んだので、細かい部分は見落としているかもしれませんが、それでもラストシーンで演劇と現実が結びつく仕掛けには鳥肌が立ちました。

 

また読み返すのが楽しみな本です。

以上最後まで読んでいただきありがとうございました。また次回もよろしくお願いします。

 

 

 

一人暮らしは大変?

こんにちは。はじめまして。

昨日は節分でしたね。恵方巻は食べましたか?僕は忘れてしまいハヤシライスを食べました。

 

さて、最近あったことを報告します。

友達が一人暮らしの物件を探しているとのことで、不動産訪問につきそうことになりました。

(僕自身2週間前に一人暮らしを始め、その時お世話になった不動産屋に友達も行きたいとのことだったので)

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で、今回僕が思ったのはですね「不動産屋には2人で行くのが効果的」ということです。

 

まず、僕の経験談から話すと、僕は一人で不動産屋さんに行きました。担当して下さった社員さんも親切に物件を紹介してくれました。

 

が、物件を決める上でお金はやっぱり気になりますよね。

 

そこなんです。社員さんと話すことに集中してしまい、細かい費用や条件をしっかり吟味する時間がとれない。。

 

友人の横でいちいち口を挟む僕の存在は、不動産屋さんにとってさぞかしうっとおしかったと思いますが(笑)

月1000円の差が1年経つと12倍ですからね。気になったところは全部質問しました。

 

特に初期費用って色々内訳があると思うんですが、その中の一つが仲介手数料です。

 

不動産屋さん曰く、今はほとんどの物件で、大家さん(貸し手)と顧客(借り手)の間に家賃支払いを担う仲介会社が入っているそうです(東京都では)

 

顧客は大家にではなく、この仲介会社に家賃を支払う。家賃を滞納してしまうと一定期間は仲介会社が代わりに支払ってくれるけど、勿論家賃の請求はくる、とこんな具合らしいです。

 

ちなみに僕は月3万の物件に住んでいますが、大家さんは神奈川に住んでいるらしく、顔を合わせる機会はなさそうです(笑)

 

 

ということで、これから物件を探す機会がある方は、家族や友人を連れ添って行くことをおススメします!

 

最後までお読みいただきありがとうございました。次回もよろしくお願いします。

 

ハイジ

「人間失格」を読んで

こんにちは。はじめまして。

 読書感想文、第2弾です。

今回は太宰治の名作中の名作「人間失格」を読んでみました。

 

どうでもいい話ですが、高校時代に国語の先生が授業中に「今まで読んだ本の中で出だしの文が一番印象的な本は何?」と一番前の席のクラスメートに質問したところ、その子が「人間失格の『恥の多い人生を送ってきました』です。」と答えていた記憶があります。 

 

そんなことを思い出しながら表紙をめくると、出だしの一文は「私は、その男の写真を三葉、見たことがある。」となっていて、なんだか裏切られた気持ちになりました笑

 

ご存知の方も多いと思いますが、この作品は葉蔵=その男が書いた手記がメインになっていますが、最初(はしがき)と最後(あとがき)の部分にだけその手記を読んだ「私」が登場するんですね。

 

人間失格

人間失格

 

 

この本のあらすじ

「恥の多い生涯を送ってきました」3枚の奇怪な写真と共に渡された睡眠薬中毒者の手記には、その陰惨な半生が克明に描かれていました。無邪気さを装って周囲をあざむいた少年時代。次々と女性に関わり、自殺未遂をくり返しながら薬物におぼれていくその姿。「人間失格」はまさに太宰治の自伝であり遺書であった。作品完成の1か月後、彼は自らの命を断つ。(Bookデータベースより引用)

 

 目次
  1. 主人公・葉蔵の人物像
  2. 葉蔵と女性たちの関係性
  3. 感想

 

  • 葉蔵の人物像

・幼い頃から周りの反応を伺って道化を演じる葉蔵。

・父に見放されることを大変恐れている。

・要領よく物事をこなし、ワザと失敗することまで気を回し愛されキャラを演じる。

・空腹を感じたことがなく、人間の営みに疑問を呈している。

 

これだけ見ると幼少期の「葉蔵」からは「なんか嫌な子供」という印象を持ちますね。5歳6歳でこんな事考えてると思うとちょっと気味が悪いです。

 

僕は「クソガキ」って言葉にはどこか愛らしさがあると思うんですが、葉蔵にはクソガキの要素が欠落しているように感じます。計算された愛嬌ほどいやらしいものはないというか。

 

  • 葉蔵と女性たちの関係

作中、葉蔵と恋仲になる女性が3人登場します。

 

一人目のツネ子は刑務所にいる夫の出所を待ちながら銀座の大カフェで働く女です。

一度は別れを告げるもその後再び逢瀬を重ねることになり、すでに精神的に病んでいた二人は心中を図ります。

ある意味で似た者同士な印象があります。

 

二人目のシヅ子は雑誌の出版社で働く未亡人の女です。一人娘と二人で暮らしており、葉蔵は娘の面倒を見ながら漫画を描かせてもらうことになります。

 

シヅ子と娘の深い親子愛を目にした葉蔵は「自分はこの家に相応しくない」と考え、結局シヅ子の前から姿を消します。

 

しかし、シヅ子と同棲する中で「世間とは個人だ」という一つ発見があり、「自分が今まで恐れてきたものは案外大したものじゃないのでは?」と心に変化が現れます。

 

個人的には「もし葉蔵が死ぬまでシヅ子と添い遂げていたなら人間失格という結末にはならなかったのでは」と思いました。

 

三人目はシヅ子のもとを離れた葉蔵が転がり込んだバーの向かいにあるタバコ屋の娘・ヨシ子です。

 

ヨシ子は純真無垢な性格で、その人柄に惹かれて(押し切られ?)葉蔵も結婚を決意します。

 

しかし、ある日自宅の2階で葉蔵が友人と雑談をしている時に、台所でヨシ子は疑うことを知らない性格のせいもあり男に犯されてしまいます。

そこから再び葉蔵の精神は不安定になり、モルヒネに手を出すことになってしまいます。

 

ヨシ子は葉蔵が恋仲となった女性のうちで、唯一年下の女性です。

葉蔵は過去に関係を持った女性と再び会うことに抵抗を感じる性格だと描かれていますが、ヨシ子が強姦されたことが、

あまりにもショックで「なかったこと」にはできなかったのでしょう。

 

人間失格だと悟った葉蔵が最後に見せた人間らしい一面だったと思います。

 

 

  • 感想

いまは自分には、幸福も不幸もありません。ただ、一さいは過ぎていきます。(p144)

最終場面のこの言葉が痛切でした。人間でなくなるというのは幸も不幸も感じなくなることなのか、それとも別の次元で生きているだけなのか、解釈は人それぞれかと思います。

 

世間というのは、君じゃないか(p97)

世間という概念は日本独特で面白いと思います。「お天道様が見ている」の「お天道様」が指し示すものはその国の信条や宗教によって違う。

 

日本では「お天道様」は「世間」なのではないでしょうか。

だから、世間の目、評価を恐れる。でも実はその世間は幾多もの個人の集まりに過ぎない。それに気づいた時、葉蔵は心底安心したのだと思います。

 

 

今回、はじめて「人間失格」を読んで見ましたが、太宰治の信条やポリシーを文字の中に直に見ることができ、100ページ程度でしたが。読み応えがありました。

 

以上、最後までお読みいただきありがとうございました。次回もよろしくお願いします。

 

ハイジ

#18 鉄道ナ休日

こんにちは。はじめまして。

先日友人に誘われて横浜にある原鉄道模型博物館に行ってきました。

 

正直、僕は機関車好きでもトーマス好きでもないです。

 

2歳下の弟が小学生の時機関車トーマスプラレールで遊んでるのを横で冷めた目で見ていました。

 

こんな僕ですが、ここで誘いに乗らなければ一生踏み入ることのない世界だろうと思い、便乗することにしました。

 

 

電車に揺られること小一時間。最寄の横浜駅に到着です。そこから歩いて5分、日産自動車のギャラリーの横に立派なビルがありました。

 

車に鉄道に、乗り物に縁がある場所なんですね。

 

実は博物館に入るまで、この原鉄道模型博物館のことを僕は「げんてつどう」だと勘違いしていました。

正しくは「はらてつどう」です笑

 

原鉄道模型博物館

世界的に著名な鉄道模型製作・収集家の原 信太郎(はら のぶたろう)の世界一ともいわれる量の鉄道模型コレクションの一部にあたる約2,500両を収蔵し、このうち約1,000両と鉄道関連資料を展示する。

(Wikipediaより引用)

 

館内には原信太郎氏がコレクションした世界各国の鉄道模型が所狭しと展示されていました。

 

JR九州或る列車やミステリー小説でお馴染みのオリエント急行などもあり、その精巧さに見とれてしまいました。

 

また別のブースには機関車トーマスプラレールがあり、子供たちが興奮を抑えきれない様子で眺めているのが微笑ましかった笑

意外と女の子も多かったのが驚きでした。

 

一番最後のブースには本物さながらの巨大なレイアウトがありました。

これが本当に凄かった!

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ちょうどトーマスが走ってる時間でラッキーでした🤞

 

なんでもこの模型の中には「隠れアイテム」なるものが隠されているそうです。

 

その中の1つ「幸せのタンポポを僕と友人は30分かけて探し出しました。笑

 

ヒントをもらっても中々見つからず、途中からスコープを使い出してガチモードでした笑

 

皆さんも行った際には是非探して見てください!結構難しいですよ笑笑

 

 

というわけで、初めて踏み込んだ鉄道の世界は精巧さと壮大なスケールが1つの文化を作り出している、想像以上の世界でした!

 

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午後は中華街で食べ歩きしてきました。

胡麻団子大好き。

 

機会があれば是非「原鉄道模型博物館」行ってみて下さい。

以上。次回もよろしくお願いします。

 

ハイジ

 

「リカーシブル」を読んで

こんにちは。初めまして。

2018年が始まって早くも31日が過ぎました。本当に早いですね。

 

これから新しく読んだ本について紹介していきたいと思います。

記念すべき1冊目は米澤穂信さんの『リカーシブル』です。

 

リカーシブル

リカーシブル

 

この本のあらすじ

父が失踪し、母の故郷に引越してきた姉ハルカと弟サトル。弟は急に予知能力を発揮し始め、姉は「タマナヒメ」なる伝説上の女が、この町に実在することを知る―。血の繋がらない姉と弟が、ほろ苦い家族の過去を乗り越えて地方都市のミステリーに迫る。

(引用: https://www.amazon.co.jp/リカーシブル-米澤-穂信/dp/4103014733)

 

目次
  1. リカーシブルの定義
  2. 主人公・ハルカの人物像
  3. 感想
  4. 作中の名言

 

  • リカーシブルの定義

あとがきによると、タイトルの「リカーシブル」は「recursive」に「able」をつけた造語らしい。直訳では「繰り返すことができる」

 

  • 主人公・ハルカの人物像

一言で言えば、ハルカは母親から愛されていない。虐待を受けているわけではなく、偽りの愛情を捧げられている。

物語の節々で母親が優しくハルカに接するシーンが出ているが、その全てが無理して作った愛情だと分かる。

また、ハルカ自身もそのことに気づいているが、波音を立てないよう理性的に行動する。

しかし、弟サトルを巡って事件に巻き込まれる中で、徐々にハルカの内面に変化が現れる。

 

  • 感想

物語の舞台が「過疎化の進む田舎町」ということもあり、自分の地元と照らし合わせながら読んでみた。

日本の田舎には独特の空気というか、暗黙のルールのようなものが蔓延っている。

そして「よそ者」への嫌悪感。「ウチ」と「ソト」という概念を持つ日本の地方社会を描いた作品だと感じた。

 

主人公ハルカはその違和感の正体を突き止めようと、自ら社会科の先生に質問したり、図書館で過去の新聞を調べたりする。

その行動力は一般的な中学1年生の女の子とはかけ離れているように感じた。

 

父親が失踪し、血の繋がらない母と少し要領の悪い弟と暮らすハルカにとって「家族」や「人生」について考えることは至極真っ当な13歳としての思慮だったのかもしれない。

 

 

  • 作中の名言

これからのわたしの学校生活がどうなろうと。

お父さんが二度とわたしの前に現われないとしても。

それらはどうでもいいことだ。わたしは生きていかなくてはならないし、何がどうであれ、結局生きるってたいへんなこと。 (p.514)

 

ハルカがこの町のカラクリの全てを知ったのは中学1年生の4月。少なくともこれからの3年間、ハルカはこの町で生きていかねばならない。

 

僕だったら。。と考えるとマイナスな思考に頭が埋め尽くされる。

ハルカのこの言葉には現実に向き合おうとする13歳の等身大の決意が見てとられる。

 

 

「生きる」ことの惨さと強さを感じさせてくれる米澤穂信の「リカーシブル」

機会があれば是非読んで見てください。

 

以上。次回もよろしくお願いします。